コラム:「よそ行き」や「一張羅」という言葉が消える時代に
「よそ行き」や「一張羅」という言葉が消える時代に
「よそ行き」や「晴れ着」、そして「一張羅(いっちょうら)」----
かつては誰もが知っていた、服にまつわる言葉があります。
「よそ行き」は「余所行」とも書き、同義語として「町着」という言い方もあるそうです。
「晴れ着」は、特別な行事に着る服。成人式の振袖のように、特別な場面を彩る一着。
そして「一張羅」は、持っている服の中で一番いい服のこと。
今ではあまり耳にしなくなったこれらの言葉。
それは、時代とともに人々の服に対する意識が変わってきたからかもしれません。
よそ行きが消える時代
先日、片町を歩いていると、Tシャツに短パン、ビーチサンダルというスタイルの人が多いのに驚きました。
まるで海に行くような軽装で繁華街を歩く姿に、「私はビーサンでも平気」という人もいる時代なのだと感じました。
かつては「町に出る」という特別感があり、家着とは違う「よそ行き」に着替えて出かけたものです。
「町着」という言葉もありましたが、その概念すら薄れ、近所のコンビニに行くのも、繁華街に行くのも同じ服で済ませる時代です。
一張羅を持たない時代
もっと悲しいというか、時代の変化を感じるのが「一張羅」という言葉です。
今は「チープ」な服をたくさん買い、それを着回すスタイルが当たり前になり、
「お金をためてあの服を買う」「一張羅を大切に着る」という価値観は少なくなりました。
服を大事に着るという時代ではなくなってきたのかもしれません。
NHKの「舟を編む」という辞書編集のドラマを見ていて思いましたが、
もしかしたら10年後には「よそ行き」や「一張羅」という言葉が辞書から消えてしまうかもしれません。
それでも、身体に合った服を求める人はいる
10年後、服のあり方がどうなっていくかはわかりません。
けれど、自分の身体に合った服を求める人はきっといるだろうと、私は思います。
誰かにとっての「一張羅」が、また生まれる日が来るように。
そんな想いで、これからもオーダーシャツを作り続けていきたいと感じました。